匠の相駕籠

ソフトウェア開発者の日常

流転の海

 宮本輝の『流転の海』全9巻を読み終えました。

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 『流転の海』第1巻が刊行されたのは昭和59年。わたしが生まれる1年前ということになります。その後、昨年の平成30年10月に、ついに最終巻が刊行されました。

 

 わたしがこの本に出会ったのは、まだ学生の頃だったと思いますので10年以上前です。わたしは一度読んだ本の内容を、わりと簡単に忘れてしまうので、新刊が発売されるたびに、何度も読み直しているような感じです。

 

 

 

 昨年10月に最終巻が発売されると、はじめから最後まで、約3600ページを一気に読んでみようという志を立てました。

 

 ゆっくりと味わいながら読み進めて、とうとう今年の3月末に読了しました。小説は、サクラの散る季節、舞い上がる花びらの中で物語を終えました。ちょうど現実でもサクラの季節となり、物語の映像が生々しく心に浮かび上がるようでした。

 

 

 

 この物語は、松坂熊吾が50歳にして人生で初めての一人息子を授かるところから始まり、その息子、伸仁が成年に達したところで終わります。

 

 この大河小説から受け取るものは、人によって様々であると思いますが、わたしからそれは何であるのかを言わせていただくとするれば、作中の言葉を借りて、こういうことではないかと思います。

 

 

 1年の計画を立てるならば穀物の種を植えよ

 10年ならば木を植えよ

 100年の計画を立てるならば人を育てよ

 

 

 漢籍にこんな言葉があります。これは人が育つには、100年もの歳月が必要であるというふうにも考えられると筆者は言います。

 

 この言葉の時代は、せいぜい人の一生が50年と言われていたころです。50年の人生で、人が成るには100年かかるというのは、一体どういうことか。

 

 

 松坂熊吾にも父と母がありました。好むとか好まざるとか関わらずに、親からいろいろなものを受け継ぎました。そして自分も、これまでの人生の折々で身にしみたことを、息子に伝えていきます。

 

 人生100年の物語が、この『流転の海』なのかなと思っています。

 

 

 わたしにも二人の子どもがいますが、彼らが私たちの手を離れたころに、もう一度この本を読み返してみたいなと思っています。